バルブ・ア・パパ Barbe à papa

フランス菓子バルブ・ア・パパとはどんなお菓子か、材料や購入先、名前の由来を詳しく紹介します。

フランス菓子バルブ・ア・パパとは?

バルブ・ア・パパとは糸状の砂糖でつくるお菓子で、日本語では「綿菓子」と言います。フランス語では「父さんのヒゲ」を意味します。綿菓子の形がヒゲに似ていることから名付けられました。ピンク、緑、オレンジ、黄、青に着色されています。

お祭りなど人が集まるイベントの時には欠かせない屋台です。作り方はとてもシンプルで、熱した糸状のふわふわした砂糖を棒に巻き付けて作ります。

フランスでは1900年のパリ万博博覧会をきっかけに広まっていきました。その当時、マシンはガス式でしたが、現在では電気式になっています。

[フランス語名]
バルブ・ア・パパ Barbe à papa

フランス菓子バルブ・ア・パパの材料

分類 コンフィズリー
構成
  • 砂糖
  • 着色料

 バルブ・ア・パパのフランスでの購入先

街中での集会やお祭りの時にバルブ・ア・パパの屋台が立ちます。人がたくさん集まる場所には欠かせないお菓子ですね。フランスでは主に作りたてのバルブ・ア・パパを袋に入れずに手渡ししてくれます。

値段の目安は小さいサイズ(25g程度)で1,50€、大きいサイズ(50g)で2,50€です。ただ、場所や街によって値段は異なります。

フランス菓子バルブ・ア・パパの歴史

綿菓子は初めアメリカで作られました。機械技術の発展にともない、綿菓子が作られるようになりました。

初めの頃は、fairy floss(ファリーフロス)と呼ばれていましたが、1920年初めにはcotton candy(コットンキャンディ)と名付けられました。そのほかにもspun sugar(スパンシュガー)やcandy floss(キャンディフロス)とも呼ばれています。

1897年、テネシー州のナッシュビルで菓子屋をしていたウォートンとモリソンが初めて綿菓子の機械の特許を出願しました。この機械は電動で、遠心分離で回転させることにより、食べられる糸状の砂糖を速く大量に製造することができました。1904年ミズーリ州で開催されたセントルイス万博博覧会で注目され、68,655本のフェアリーフロスを販売したと記録されています。この博覧会は4月30日から12月1日までで、1日あたりにすると326本生産できていました。この当時は1本25セントだったそうで、今の価値に直すと8ドル程度になります。

一方で、トーマス・パットンは1900年にガスを使った回転式の機械で特許を出願しています。列車で各地を巡業していたサーカス(リングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム・アンド・ベイリー・サーカス)で綿菓子を販売して、子供たちへの普及に成功しています。

アメリカでは、12月7日がナショナル・コットン・キャンディ(National Cotton Candy Day)の日に定められています。

 

 

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