クロワッサン Croissant

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フランスのヴィエノワズリーのひとつクロワッサンとはどんな菓子パンか、材料や購入先、名前の由来、同じ種類のパンを詳しく紹介します。

 

クロワッサンとは?

ヴィエノワズリー:クロワッサン

クロワッサン Croissantとは折込パン生地とバターで作った生地を三日月の形に成形したパンのこと。フランスでは定番のヴィエノワズリーのひとつです。ヴィエノワズリーとは、バターを加えたり、チョコレートや砂糖などで甘味をつけた菓子パンのこと。

フランスでは特に週末の朝食や子どものおやつとして食べます。そのまま何もつけずに食べたり、さらにジャムやチョコレートなどをつけて食べることもあります。

クロワッサンに甘味はあまりついていませんが、食事と一緒には食べず、基本的には中に具を挟んだサンドイッチもあまりみられません。

ひとつのサイズは手のひら大の大きさで、値段はどのブーランジュリーで1〜2€ほどです。5cmくらいのミニサイズのクロワッサンを量り売りで置いているところもあります。

ブーランジュリーではバターをつかった自家製のクロワッサンもありますが、市販の冷凍品もあるそうです。自家製か冷凍品化の見分けはつきにくく、食べるときにポロポロと皮が落ちてくるものが冷凍品なんだそうです。また、スーパーマーケットにはひまわり油(huile de tournesol)をつかったものもあります。当然、バターをつかったもののほうがおいしいので、表示に注意しましょう。

[フランス語名]
クロワッサン Croissant / un croissant




クロワッサンの材料

分類 ヴィエノワズリー
生地 クロワッサン生地/発酵折込生地
材料
  • 小麦粉
  • 砂糖
  • 牛乳
  • バター
  • 酵母




クロワッサンの種類

クロワッサン生地(発酵折込生地)を使ったヴィエノワズリーには以下のものがあります。

  • bichon au citron[ビション オ シトロン]レモンクリーム入りのパイ
  • brioche feuilletée[ブリオッシュ フォイユテ]バターを折り込んだブリオッシュ
  • chausson aux pommes[ショソン オ ポム]りんごのコンポート入りパイ
  • croissant[クロワッサン]クロワッサン、三日月型
  • croissant aux amandes[クロワッサン オ ザマンド]アーモンドクリームとアーモンドスライス入りのクロワッサン
  • escargot au chocolat[エスカルゴ オ ショコラ]カスタードクリームとレーズン入りのクロワッサン
  • kouign-amann[クイニー アマン]クロワッサン生地にさらにバターと砂糖入れたお菓子
  • pain au chocolat[パン オ ショコラ]チョコレートバー入りのクロワッサン
  • pain aux raisins[パン オ レザン]カスタードクリームとレーズン入りのクロワッサン
  • pain suisse[パン スイス]カスタードクリームとチョコチップ詰めたクロワッサン
  • sacristain[サクリスタン]ねじったクロワッサン

クロワッサンの購入先

ブリオッシュは主にブーランジュリーやパティスリーで購入することができます。価格はひとつ1~1.5€ほどです。




クロワッサンの名前の由来

クロワッサンはバターを層のように折り込んだ三日月の形をしていて、フランスを代表するパンのひとつでもあります。

クロワッサンの起源はフランスではなく、東欧の国で13世紀より作られていました。クロワッサンの先祖はキプフェル Kipferlといいます。しかし、レシピが残っていないため、甘いのか塩っぱいのか、現在のクロワッサンのような折込パン生地がつかわれているのかは分かっていません。

ウィーンで生まれたクロワッサン

1863年、神聖ローマ帝国の首都だったウィーンはオスマントルコ軍に包囲され、今にも陥落という状況に追い込まれていました。ポーランド王国からの援軍を待っていましたが、いつまで待っても援軍は来ませんでした。

そんなとき、トルコ人に変装し包囲網を抜け、ポーランド国王に援助を要請した人がいました。それが通訳官を務めていたフランツ・コルシツキー Franz Kolschitzkyです。

彼のおかげで、駆けつけたポーランド軍と神聖ローマ皇帝軍によりオスマントルコ軍を撤退させることに成功しました。彼はお礼としてウィーン市より、オスマン軍から奪った500袋のコーヒー豆をもらいました。

その翌年、コルシツキーは聖シュテファン大聖堂の近くにカフェを開店しました。このカフェは「青い瓶」という店名で、ウィーンで最も古いカフェでした。コーヒーやクロワッサンを提供していました。

その頃、ヨーロッパではコーヒーに砂糖やミルクを入れずにブラックのまま飲んでいて、コーヒーは薬という位置づけでした。コルシツキーは漉したコーヒーにミルクを入れる飲み方を紹介し、苦いだけのコーヒーが甘くてほろ苦いコーヒーとなり、人々に気に入られてきました。その後、パリやロンドンにも伝わり、砂糖も加えて甘いコーヒーも飲まれるようになりました。

神聖ローマ皇帝レオポルド1世は「小さな角」を意味するドイツ語であるHörnchenを作る許可を与えました。それはクロワッサンのような小さなパンで、オスマン帝国のシンボルである三日月の形をしていました。

なぜ、敵だったオスマン帝国のシンボルのパンを作らせたのかというと、ウィーンでは 「クロワッサンを食べることは、トルコ人を食べることだ」という意味があったからなんだそうです。

コルシツキーがパン職人だった別の説

実際にコルシツキーは通訳官でしたが、パン職人だったという伝説もあります。

ウィーンを包囲していたオスマントルコ軍は、ある夜、地下を掘ってウィーンに入ることを決めました。

しかし、パン屋さんの朝は早く、みんなが寝静まったころに起きて仕事をはじめていました。コルシツキーは地下から聞こえてくる異常を察知し、守備隊に知らせます。駆けつけた神聖ローマ皇帝軍とポーランド軍によりオスマン軍を撤退させました。

その後、同様にカフェをオープンしてクロワッサンを提供したという説です。

しかし、実際にはコルシツキーは通訳官だったようです。パン職人だったというほうが説得力が増すから、この説も残っているのかもしれませんね。

どちらにせよ、コルシツキーはウィーンを救った英雄として、ウィーンにはコルシツキー通り Kolschitzky-gasseがあり、石像が置かれているほどの人物なんです。

パリでクロワッサンが登場する

パリには1837年ごろ、クロワッサンが登場しました。実は、ウィーンでのコルシツキーの活躍の前に、すでにパリにクロワッサンは登場していました。

ふたりのオーストリア人(August Zang / Ernest Schwarzer)が2区のリシュリュー通りにウィーン風ブーランジュリーを開店し、そこでクロワッサンを販売していました。

ブーランジュリーの場所(92, rue de Richelieu) 現在もこの通りは残っています。

リシュリュー通り 92, rue de Richelieu 75002 Paris

クロワッサンは一気に人気を得て、ほかのブーランジュリーでも売られるようになります。1850年ごろにはすでに日常的に食べられるパンとなっていました。

朝食のメニューとして定番のクロワッサンですが、朝食として食べられるようになったのは1950年代に入ってからです。




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