フランスで祝われる12月6日のサン=ニコラの祝日についての解説と歴史、各地方での伝統、お菓子との関係について紹介します。
サン=ニコラとは?
サン=ニコラ(Saint-Nicolas)とは270〜342年に実際に存在したミュラのニコラ(Nicolas de Myre)というリュキア(現在のトルコ)の司教です。
ある伝説では、肉屋の主人が3人の子供をバラバラに刻んで塩漬けにして殺した3人の子供をニコラが復活させたと言われています。それ以来、ニコラはこどもの守護聖人として崇められています。サン=ニコラ(Saint-Nicolas)とは聖人ニコラのことです。サン=ニコラは袖なしの外衣を着て、司教冠と杖をもっており、数人の子供と一緒にいる姿が表現されています。
12月5日の夜から6日にかけて、子どもたちはサン=ニコラのロバにえさを与えるために、靴下に干し草とオート麦のパンをいっぱいに詰めて煙突にぶら下げました。これがクリスマスに枕元に靴下を置いておく習慣につながりました。
オランダ、ベルギー、ドイツ、オーストラリアやスイスの一部地域、フランスの北や東では、サン=ニコラは最も人気のある聖人のひとりです。ペールノエル(サンタクロース)と同じくらい重要な人物です。これらの国では12月6日に祝い、この日にプレゼントを贈ります。
サン=ニコラの祝日の伝統
昔から12月5日の夜に、子供たちは干し草や人参を詰めた靴を煙突に置くという習慣がありました。翌朝には、靴の中の干し草とニンジンはなくなり、代わりにパンデピス、スペキュロス、マジパン、小さなおもちゃなどが入っていました。
つまり、サン=ニコラの日は甘いものを贈るという習慣の起源でもありました。
これらのサン=ニコラを祝う習慣は時の流れにつれ、消えていったものも多くあります。16世紀から始まったサン=ニコラやロバの形をしたお菓子を作るという習慣は今も残っています。これがアイシングで描いたパンデピスです。
アルザス地方での伝統
12月にアルザス地方の各都市で、サン=ニコラやロバ、ペール・フタールに変装した人たちが通りをパレードするイベントがあります。ペール・フタール(Père Fouettard)とは顔を黒く塗って、マントを羽織り、鞭をもっていて、ペール・ノエルやロバには欠かせない人物です。
また、干しぶどうで目を作った人の形をしたブリオッシュを食べる習慣もあります。このお菓子はマナラ(Manala)といい、今ではアルザス地方だけではなく他の地方でも見られるようになりました。
ブローニュ=シュル=メールでの伝統
ブローニュ=シュル=メールでは、昔からサン=ニコラと死んだ3人の子供を表したお菓子を作る習慣がありました。
ブローニュ=シュル=メール(Boulogne-sur-Mer)はフランス北部のオー=ド=フランス地域圏のパ=ド=カレー県にあるドーバー海峡に面した町です。
サン=ニコラはサンタクロースのモデル?
18世紀末、アメリカのオランダのコミュニティでは、サン=ニコラはサンタクロース(Santa Claus)という名はすでに知られていました。
1823年、アメリカの神学者クレメント・クラーク・ムーア(Clement Clarke Moore)が書いたサン=ニコラの物語(A Visit from Saint Nicholas)の中で、サンタクロースという名前は大きく広まっていきました。サンタクロースとはヨーロッパのサン=ニコラとは異なり、司教冠と杖はもたない妖精であるとしています。そして、頭から爪先までの長い毛皮を着ていて、おもちゃの入った袋を肩にかけていると表現されています。さらに、ロバはトナカイに代わり、空中をトナカイが引いたソリでサンタクロースが飛び回っています。
ちなみに、8頭のトナカイには名前があり、ダッシャー、ダンサー、プランサー、ヴィクセン、コメット、キューピッド、ドンダー、ブリッツェンと言います。
サン=ニコラのイメージはアメリカでサンタクロースとクリスマスに結びつけられました。
1931年、ハードン・サンドブロム (Haddon Sundblom)によるコカコーラの広告の中で、サンタクローははっきりとイメージされました。そのサンタクロースはより人間的で、陽気で温厚で、まさに私たちが知っているサンタクロースそのものです。
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